高欄掛  屋台の太鼓打ちが座る高欄の四面に取り付ける縫い物を高欄掛と云う。
 高欄掛の図柄は英雄・豪傑を刺繍した退治物や合戦物が多く、作品を引き立たせるため周囲には額縁と呼ばれる模様が刺繍されている。額縁の模様の種類は鱗柄・菱・剣菱などが多く見られる。
 尚、古くから屋台の高欄は隠すもの、と云われており、多くの地区ではこの高欄掛を施しているが、ある地区では、高欄掛の代わりに大金具で高欄を隠している。
 又、飾磨・浜の宮天満宮の屋台には高欄掛は無く、伊達綱の下部を孤状にすると共に、乗子襦袢を高欄の外に出して隠し、網干・魚吹八幡神社や御津・富嶋神社を始め西方の地区では乗子衣装を高欄の外に出して隠している。

 上記の高欄大金具(加美・二ノ宮荒田神社/的場)は、平成17年開催「匠の技−播州祭り屋台錺金具展」記念写真集「意を打ち技を鏨る」に収録しています。

意匠:妻鹿に縁りのある武将
   赤松政則       妻鹿孫三郎
   黒田職隆・孝高父子  母里太兵衛
製 :平成10年(1998)
作 :川村雅美
地区:灘・松原八幡神社/妻鹿
赤松政則:播磨・美作・備前の三国の守護山名政豊と播磨各地で死
闘を繰り返し、ついに政豊を但馬に撤退させた武将。
妻鹿孫三郎:赤松円心が大塔宮の令旨を基に、与力を催した時に馳
せ参じた武将。薩摩氏長の子孫で元弘のころ武者修業をして国内を
巡り播磨国に来て赤松氏に属した。
黒田職隆・孝高父子:父・職隆は御着城主の小寺政職に仕え、数々
の武勲を立てた後に小寺姓を与えられ、播磨の姫路城の城代になっ
た。息・孝高は言わずと知れた羽柴秀吉の知謀の軍師黒田官兵衛。
母里太兵衛:黒田孝高・その子黒田長政に仕えた、槍術に優れた剛
力の勇将。黒田節に謡われる名槍・日本号を福島正則から呑み獲っ
た逸話で有名。