意を彫り技を刻む

〜匠の技−播州祭り屋台彫刻展〜
  
■ 場面紹介 (その5) ■
 

朝比奈三郎義秀錣曳き
 
建暦3年(1213)、北条執権の専横に対し、和田義盛が挙兵した。この時、三男・三郎義秀は、幕府の大門を押し破り、政所前の橋にて、足利義氏と遭遇例の鉄棒にて戦い、義氏の兜の錣を掴んだところ、義氏は馬に鞭を当て、一丈余の堀を飛び越えた為、錣は千切れ三郎の手に残った。
 

姉川に火花を散らす木村又蔵
 
元亀元年(1570)、姉川合戦に於いて、加藤清正の臣・木村又蔵正勝は、朝倉義景軍に苦戦する織田信長軍の助勢に向かい、縦横無尽の戦い振りで斬りまくり朝倉方の宿将・島田権右衛門を初め、幾多の勇将を討ちとった。後年、正勝は清正四天王の一人として、勇名を馳せた。
 

源頼義霊泉を得て官軍の渇を助く
 
天喜5年(1057)5月5日、将軍・頼義は、朝敵追討の義に依って、七百騎を従え鎮守府を発ち、衣川にて、安倍頼時・良昭兄弟率いる四千騎と相対峙した。6月上旬、炎暑しのぎ難く、流るる汗漿をなし、口中の渇堪え難く、将兵皆、己が疵の血を吸い、汗を啜るが如くであった。頼義、本国を伏拝、至信に祈願の上、弓弭を以て岸を穿つと岩角より霊水涓々として湧き出た。 この古今希有の瑞験を、目の当たりにした敵方は戦意喪失し、頼義軍、少勢をものともせず、斬り掛かれば、安倍軍命大事と衣川に逃げ帰ると云う図。
 

唐獅子
 
魔除けであるが、釈迦に由来すると云われ、釈迦と獅子とは極めて因縁が深く、仏典等に拠ると、「釈迦は十返獅子に生まれ、六返は象、一度は兎に生る。」・「釈迦が生るる時、一手は天を指し、一手は地を指し、獅子吼して云う、天上天下唯我独尊。」とある。
 

獅子の子落とし
 
百獣の玉と云われる獅子は、子を生むと、千仞の谷に落とし、生き残った子だけを育てると云う言い伝えから、自分の子を苦難の環境に置いて、その器量を試すと云う有名な逸話。
 

 
地上動物の王で千年の寿を保つと云われている。又、悪魔さえも虎を恐れるとの意から、悪魔払いとして、壁に書いたり、彫刻に用いたりする。更に、夢判断では、成功の兆である。
 

鷲と猿
 
海に落ちかけた猿を、鷲が救っている場面。猿は煩悩にまとわり憑かれた人間に、鷲は歓喜天にそれぞれ喩えられている。
 

      
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