芦 屋 道 満 童 子 問 答 の 場
「宇治拾遺物語」に安倍晴明と法力を争ったと有り、「峰相記」にはこれに敗れ、本国・播磨へ追放され、故郷・佐用にて流死し、子孫が英賀・三宅に広がり住み、陰陽の業を継いだ。と云う説と、佐用より飾磨・三宅に移り住み、薬屋を開業した。と云う二説がある。更に、「地志播磨鑑」には「佐用に塚有」と記載されている。又、加古川市東神吉町に、道満ゆかりの「こけ地蔵」が残っており、現在も、地元民から信仰を集めている。