意を彫り技を刻む

〜匠の技−播州祭り屋台彫刻展〜
  
■ 場面紹介 (その1) ■
  

 唐子遊び

唐子の四季に於ける様々な遊び姿を、唐子遊びと称し、一説には千態あるとも言われている。

※唐子遊び・・・・・・・・春
※司馬温公カメ割りの場・・夏
※宝車曳・・・・・・・・・秋
※雪遊び・・・・・・・・・冬
 

 司馬温公カメ割りの場

昔、中国に司馬光(司馬温公)と云う賢子あり。ある日、数人の子供達と遊んでいる時、一人が家宝の水ガメの中の金魚を見ている内、誤って嵌まってしまった。皆慌てふためく中、司馬光独り、慌てず騒がず、石を以てカメを割り、溺れる子を救ったと云う逸話。果して司馬光は成長し宰相となった。
※司馬温公(1019〜1086)
 

 安宅

源頼朝の討手から逃れる為、奥州へ向かった義経主従は、安宅の関に於いて関守・富樫家経に嫌疑を懸けられ、東大寺勧進の山伏と名乗り、一応、疑いを晴らすも、番卒の訴えで強力姿の義経が呼び止められる。しかし、弁慶が義経を金剛杖で打擲するに及び、家経は、弁慶の苦衷を察し、通行を許可すると云う場面。
 

 祇園林夜雨

或る五月雨の夜、白河院が祇園近くの御堂辺りに、鋭い光を放つ怪しい影を見かけ、その化け物退治を家臣・平忠盛に命じた。忠盛が御堂の陰に身を潜めていると、現れた化け物が近づいて来たので組み伏せると、御堂に燈明を点ける為に通う老法師であったと云う平忠盛怪僧を捕うの図。
 

 玄徳躍馬跳檀渓

劉表の妻・蔡夫人とその兄・蔡昌とに暗殺されかかった劉備玄徳は、唯一軍勢のいない西門を抜け、更に、波濤逆巻く檀渓を、駻馬・的盧を駆り見事跳び越え脱出に成功した。
※劉備玄徳( 161〜 223)
 

 韓信きん歙に大蛇退治を下知す

 
孤雲雨脚山に軍を進めた韓信は、斥候の兵より、乱山岩渓に大蛇が居るので進めない。と注進を受ける。すると、信武侯きん歙が、我独りにて切り捨てて見せますと願い出たので、韓信大いに喜び、毒気に当たらぬ様にと、御酒を下され、大蛇退治を下知した。
※韓信(?〜前 196)
 

 常磐御前伏見の里
 
平治の乱で敗れた義朝の愛妾・常磐御前は、京を追われ凍てつく冬の夜、7歳の今若・5歳の乙若・生後間も無い牛若を連れ、降りしきる雪中を伏見より大和路へ逃れて行く図。
 

 大江山頼光の木渡り
 
一条天皇に、大江山の酒呑童子退治を命ぜられた源頼光一行が、四天王の一人・坂田金時が引き抜いた松の大木で山中の懸崖を渡る様子を彫った場面。
 

 桃山御殿
 
関白秀次の家臣・木村常陸介より、太閤暗殺の命を受け、伏見城に忍び入った石川五右衛門が、暗殺に失敗し、太閤の家臣・仙石権兵衛、薄田隼人正らに取り押さえらる場面。
 

 天の岩屋戸の変
 
須佐之男命のご暴状にお怒りになった天照大神が、天の岩屋戸にお籠りになったので、天下は全て真暗になった。そこで、八百萬の天神達が安河原にお集まりになり、あれこれと騒ぎ立てらたので、遂に、天照大神は天の岩屋戸よりお出ましになり、世は再び明るくなったと云う神話。
 

      
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